PCCカーの時代

都電 5501号

 都電5501号と7504号の保存展示施設建設を記念して、PCCカーについて書いてみたいと思います。画像は昨年の路面電車の日のイベントのときに撮影した、荒川車庫で保管されている5501号です。
 都電 路面電車の日記念イベント 2006 - 猫電車日記
PCCカーというのは、"Presidents' Conference Committee Car"ということで、1930年代にアメリカの路面電車事業者の経営者が集まってつくった委員会で開発された、高性能な路面電車のことをいいます。この都電5501号は、アメリカのPCCカーの技術を使って日本でライセンス生産したもので、1954年に登場し、三田車庫に所属して銀座線が廃止になる1967年まで活躍しました。
 実際には、アメリカから技術を輸入する以前に、日本でも研究開発が進められ、同様の高性能車が1953年に大阪市電3000形として登場しています。都電の5501号は、ライセンス生産する機器が特殊であったため製造が遅れ、国産の技術を使った車両が5502号として、一足先に1953年にデビューしています。「防振防音電車」と呼ばれ、新世代の都電として、期待は大きかったようです。
 【泉麻人の 東京版博物館】 音なし都電 朝日新聞
試運転中に銀座四丁目の交差点で白煙を噴いて「エンコした」とかハプニングもあったようですが、その後5501号が続き、5507号まで製造されました。5503号以降は国産技術で製造されたので、本来のPCCカーは5501号だけと言われたりもします。高性能車の導入は、大都市の路面電車に波及し、都電、大阪市電のほかにも、名古屋市電、横浜市電神戸市電などにPCCカーが登場して、さらに広島電鉄の550形や土佐電鉄の500形など、地方の事業者にも、同様の技術を使った車両が走り始めました。
 しかし、路面電車の全盛期を背景に登場したPCCカーは、程なく路面電車が大都市の公共交通の主役から追われる過程を経験することになります。つまり、後が続かなかったということですが、車両としても故障が多いとか、他車と性能が異なるため扱いづらいとか、神戸市電広島電鉄土佐電鉄のように、吊り掛けの在来車に改造されてしまった例すらあるほどで、そういう電車の方が、結局長く使われました。この5501号も大型で坂道に弱いとかで、銀座線の廃止と運命を共にします。美しい言葉ではないけれども、日本でのPCCカーは、結局「あだ花」に終ったといえば、言いすぎでしょうか。PCCカーの影響を受けて誕生し、現在現役の車両でいうと、阪堺のモ501形と、改造されていますが広電の1156号くらいでしょう。
 5501号に話を戻すと、廃車後、上野公園に保管されました。アラーキーの『東京は、秋』という写真集、個人的に好きな写真集ですが、その本に上野公園にあったころの5501号の写真があります。「妻」と「夫」の対話という形の文章が添えられているので、少しだけ引用してみます。

妻■この電車おぼえてるわ。よく乗ったもん。不忍池、七軒町、清水町とかさ。すごくよかったんだ、この電車が……。
夫■都電からの眺めってのはいいんだ。昼間のタクシーなんかからの眺めより、都電から眺めた方がよく見えるし、面白い。

おそらく保存の意図なり構想があったので、上野公園から荒川車庫に移されたものと思いますが、車庫の片隅にシートにくるまれ長らく置かれていました。今回、ようやく正式に保存されることになったものです。昨年荒川車庫の有志のみなさんのご尽力で、7504号が修理され、イベントで披露されました。まさに時代の証言車であるこれら2両が後世に伝えられることの意義は、決して電車マニアの興味を満たすことだけではないと思います。