広島電鉄2000形 あのとき

広島電鉄 2008号+2009号
 昨日の運行をもって、営業運転を休止した広島電鉄の2000形、昨日ご紹介したtetuota1992さんの記事トラックバックをいただいているid:shirusuさんの記事を拝見すると、2008+2009号が、夕方の広電前発宮島口行きとなり、折り返し商工センター入口行きとなって入庫して、50年近くに渡る歴史に一区切りつけたそうです。最後、商工センター入口の駅で乗務員さんに花束贈呈があったとか。いい話ですね。
 さて、前回はデジカメで撮ったものを中心に、2000形の勇姿をご覧いただきましたが、今日は週末で時間もあるので、フィルムを使っていたころの写真から、4編成を捜索してみました。私が2000形共有した場所と時間を振り返ってみたいと思います。
 1枚目は2002年3月、紙屋町西2008+2009号です。電停に立っている白い手袋をした人は、広電の集札員の方で、その後ろにアクリル板に水鏡にように電車が映りこんでいるのが面白いなと思って選びました。もちろん撮ったときに意識していたわけではありません。画像が小さいので分かりにくいですが、電停の柱にオレンジ色の発券機が付いています。広島駅と原爆ドーム前・本通間で、120円に運賃を値下げしていたときの整理券発券機です。
広島電鉄 2006号+2007号
 2枚目、鷹野橋の歩道橋の上から、2003年5月の2006+2007号です。朝のラッシュ時の風景、平日の朝、広電の写真を撮っていると、ラッシュ時のピークを過ぎようかというころ、日赤病院前行きの2000形がやってくる、いつも見慣れた風景でした。そういえば、広電の公式サイトで、10月26日からのダイヤ改正のお知らせが出ていて、一部の路線で運行間隔を拡大することと、夕方の広電前発の宮島口行きが廃止になることなどが、告知されていました。乗客が減っているから、効率化を図るのか、理由はよく分かりませんが、2000形の引退は、このダイヤ改正を見据えてのことだったようです。
広島電鉄 2004号+2005号
 3枚目は1999年5月、これも歩道橋の上からで、本川町です。電車は2004+2005号。青い「己斐」の方向幕が懐かしいです。ここは町並みはあまり変わっていないと思います。後ろの携帯屋さんも今でもあるはずです。だから、どこがどうということは具体的には言えないんですが、何となく今とは違う雰囲気があります。
広島電鉄 2002号+2003号
 最後は2002+2003号、1997年10月の撮影です。見た瞬間、場所がピンと来なかったんですが、十日市町です。電停が改築されて変わっているし、「おおうち」のスーパーも、店とこの看板は現存していますが、経営が変わっていると思います。2000形は後年、ほとんど車体広告を付けていませんでしたが、このころは、片面見える範囲で3枚付いてます。向かって右端が「源蔵」という大衆酒場なのが、広島らしくて、2000形らしい感じがします。
 2000形の50年近くの車歴からすると、ごく限られた期間ですが、引退に当たって、振り返ってみました。50年の間には、広電の苦しい時代もあったけれども、2000形が切り開いた宮島線と市内線の直通運転が、広電を「チンチン電車」から脱皮させ、大きく飛躍させたことは、間違いありません。その線路は、後輩たちがしっかりと受け継いでくれるはずです。2000形の皆さん、本当にお疲れさまでした。