広島電鉄2000形 引退によせて

広島電鉄 2002号+2003号
今日の運行をもって営業運転を休止する、いちおう引退するとしておきますが、広島電鉄2000形、走行音、貫通路の扉、ドアエンジンの閉まるときの音など、いろいろ個性的な電車です。引退に当たって、手持ちの画像を探してみました。4編成あるんですが、探してみるとあまり撮ってません。平日の朝夕の限られた時間帯にしか走らないので、あまりチャンスがなかったのでしょう。
 1枚目は2004年2月の2002号+2003号、夕方の広電前行き、撮影場所は鷹野橋と日赤病院前の間だと思います。正面上部の直通灯が点いています。このころの画像を見ると、直通灯は点いていたりいなかったりで、いつの間にか使わなくなりました。
広島電鉄 2004号+2005号
 2枚目は2004号+2005号、1999年12月朝、立町です。この編成については、最近の写真がなかったので、古いのを引っ張り出しました。ここからの3編成は、広島電鉄が自社工場で製造した車両です。広電の場合、車両の引退を告知するのは、少なくとも従前は稀なことですが、2000形は自社製の生え抜きの車両もあることから、多少の思い入れもあるのかもしれません。10年前のこの画像を見ると、電車じたいは今と何も変わっていなくて、方向幕と背後の「三和銀行」に時の流れを感じます。
広島電鉄 2006号+2007号
 3枚目は朝の折り返し西広島行き2006号+2007号、十日市町、ずっと新しくなって2006年3月の撮影です。このピンク色は、もともと宮島線と市内線の直通電車を示す色でした。誇り高きエリートの色だったんですね。初登場のころ、抜群の高性能車だったと思います。最初は、直通電車が少なかったので、特に目立つ色が選ばれたのかもしれません。色だけを言うと、市内線に転属した3000形がこの色のままですが、直通運用からは、この色の電車は姿を消すことになります。
広島電鉄 2008号+2009号
 最後は2008年8月、2008号+2009号、猿猴橋町から的場町の間です。車号の「2009」にちなんで、このカットと類似のカットを細長く切り抜いて、2009年のお正月の当ブログのタイトルのバナーに使わせていただきました。2000形は、製造開始が1960年なので、それぞれ50年近く広島の街を走ってきたことになります。
 今日もいつもどおりであれば、夕方の広電前発宮島口駅行きが最終運行となることでしょう。おそらく、特別なセレモニーも何もないと思いますが、いつもどおりお客さんを送り届けて、いつもどおり車庫へ戻る。そして静かに役目を終える、それがこの電車らしいのかもしれません。
 最後になりましたが、「広島路面電車図鑑」のtetuota1992さんが、1000枚以上の膨大な写真からなる2000形だけの特設サイトを開設されているので、ご紹介します。網羅的であるばかりか、いろいろな角度から撮影されており、見ごたえがあります。2000形に思い出のある方は、ぜひご覧ください。
 http://www.hirolrt.com/2000/