被爆電車 2009年夏

広島電鉄 651号

 このブログをはじめてからずっと続いている数少ないテーマのうちのひとつ、被爆電車の夏。今日は休暇をとって広島へ行ってきました。被爆電車が走っていることを前提にしないとはじまらないので、とりあえず原爆ドーム前へ行ってみました。原爆ドームの周りでは、式典を前にして、いろいろな人たちが集まっていました。電停もお客さんでごった返しているので、とりあえず旧広島市民球場の植え込みに腰掛けて、行き交う電車を眺めます。そして8時15分、拡声器から「黙祷」の声が聞こえます。
広島電鉄 652号
 被爆電車は、8時半ごろ、前後して原爆ドーム前に到着しました。まず、西広島行き651号がやってきました。テレビの取材が入っていたようで、待機していたクルーが撮影をはじめます。続いて652号、こちらも西広島行きです。朝のラッシュがピークを迎えるなか、いつものとおりお客さんを乗せて、原爆ドーム前に着きました。料金収受と乗客整理のため、たくさんの広電の社員さんが出ているのは、いつもと違います。そして周囲の喧騒も。
広島電鉄 652号
 652号を見送って、南へ向かって歩きます。いつもと同じ、広島の街、朝の風景。まだ、朝のラッシュ輸送を担当した電車がほどんど出ている時間帯なので、電車はたくさんやってきます。西広島から折り返してきた2両に出会ったのは、鷹野橋でした。鷹野橋で再び2両を見送って、南へ歩きます。曇っているけど、暑い。空気の温度が高い。
広島電鉄 651号
 次は皆実町六丁目で出会いました。651号は回送で、652号は広電前行きでした。そしてどちらも千田車庫に入庫し、今日の仕事を終えました。
 あの日を経験している被爆電車は、象徴的な存在だといえるでしょう。その象徴的な存在が、日常的に走っているところが、被爆電車の特別なところでもあるわけです。今日のようにラッシュ時に1〜2往復というのは、ラッシュ時の応援という今の役割からすると、いつもどおりの運用なのでしょう。でも、一般のお客さんが被爆電車に乗る機会は、確実に減っているような気がします。今日も車庫に入庫後、団体さんが被爆電車の見学に来ていたようです。それはそれで有意義だと思うし、古い車両の維持に困難があることは想像に難くないのですが、事情が許す限り、やはりお客さんを乗せて走ってほしいと思います。それがあの日もやっていた、そしてそれから60年以上やってきた彼らの仕事だから。