10年前の京阪京津線

京阪京津線 80形
 出会い そろり 湖都の秋 京阪電鉄京津線 朝日新聞
 1997年10月、地下鉄の開通に伴い、京阪京津線京都市内の一部区間が廃止となりました。地下鉄へ乗り入れることによって機能的には確保されたものの、料金が高くなり、また京都市内のかなり需要のあった区間が地下鉄へ移行したことから、残った大津線区間の運営は苦しくなり、今思ってみると、運行形態の変化以上に大きな転機であったといえるでしょう。ちょうど10年になるので、名車と言われた80形の雄姿とともに、廃止直前の模様をちょっと懐かしんでみます。
 まず京津三条の駅から三条通へ出てくるところです。かつて京阪本線が地上駅のころは京津線と線路がつながっていて、「びわこ号」が直通運転をしていました。京津線だけが取り残され、そして今は地上に電車の姿もなく、バスターミナルになっています。マニアがたくさんいますね。 
京阪京津線 80形
 これは東山三条、この画像は以前にこのブログで使ったことがあるものです。このあたりもお客さんが結構多かったような印象があります。併用軌道区間では、こうやってステップが出て乗降していました。運転士さんがきっぷを回収しているのが見えますが、当時はツーマン運行でした。この場所は現在、歩道が広く整備されていて、地下鉄の代替駅ができているものの、地上から電車がなくなって、何となく寂しくなった気がします。電車の向かって左手奥に小さく見えているのが、廃止を告知する看板です。改めてみると、この80形という電車は洗練された美しいスタイルをしていることに気づきます。
京阪京津線 80形
 最後は蹴上です。後が都ホテル、歩道橋の上から撮ったと思います。今見ると街灯と電線が目障りですが、これを撮った時には電車しか見えていなかったのでしょう。ここは電停にへたりこんだ高校生が、電車が近づいてくるとめんどくさそうに立ち上がる風景が名物でした。あの高校生たちも今は社会に出てバリバリの若手として活躍しているんだろうなとか、どうということもないことを思います。