モノクロームの広島 2006 8.6(2)

広島電鉄 704号813号

 8月6日の広島の続き、今日の画像は天満町です。西広島を出ると、広電の電車は、新己斐橋を渡って、平和大通りを通り、西観音町から土橋までは、狭い道路を走ります。平和大通りを通るようになったのは、40年ほど前のことで、それまでは、この画像の道路を西へ延ばしたところに軌道があって、軌道専用橋で川を越えていたそうです。
 己斐から今日の画像の天満町までは、被爆3日後の8月9日に単線ながら電車が運行を再開したことでも知られています。広島市立交通科学館で上映されていた、「ヒロシマに一番電車が走った」でも、車掌を務めた少女が「天満町行きです」という場面が出てきます。ちなみに、この作品は昨年DVD化されています。

 復旧について、もうひとつ紹介しておくと、広島ホームテレビの昨年の被爆60周年特集の中に、「「あの日、市民生活を支えた人たち(1)」〜広島電鉄チンチン電車」というのがあって、Web配信されています。リンク先のいちばん上になります。
 Jステーション特集 被爆60年特集 広島ホームテレビ
ここに出演されている女性が、「ヒロシマに一番電車が走った」の原作者というかモデルということです。わずか3日間で復旧した、その使命感の強さに、感銘を受けます。新己斐橋を渡ったときは、川面から吹き上げてくる風が頬に涼しさを感じさせたりもしましたが、このあたりへ来ると蒸し暑く、歩いている人はほとんどいませんでした。
 その他の話題ですが、福井鉄道で引退した120形電車のうち1両が保存されたというもので、場所は越前市今立地区の農園だそうです。
 越前市今立地区に25年ぶり“復活” 福井鉄道で廃線の南越線電車 福井テレビ
もう1両、旧北陸鉄道のモハ562号も解体されず、どこかへ搬出されたらしいのですが、ネット上には情報が見当たりませんでした。もしかすると、個人に引き取られたのかもしれません。