被爆電車 2006年夏(その2)

広島電鉄 651号
 8月6日の朝、広島電鉄平和記念公園に向かう多くの人々を運ぶため、特別輸送体制となります。今年も、各系統に臨時便が増発され、昨年同様、広島駅からは十日市町行きの臨時電車が出ていました。この十日市町行きは、大半が連接車でしたが、何かの代走なのか、単車では神戸市電582号が1両だけこの臨時便に充当されました。
 被爆電車は、というと、現役の2両、651号も652号も3号線で、通常の営業運転に就き、多くのお客さんを運んでいました。
広島電鉄 652号
 651号は、朝10時過ぎには入庫しましたが、652号は午前中は3号線、午後からは5号線で終日運行されていました。10時過ぎにはもう普段の日曜日と同じ、通常運行になっていたので、被爆電車が1日中走ることは珍しく、やはり8月6日ならでは配慮なのでしょう。どの電車も同じことですが、運行調整のため、ときどき広島港で休憩を取りながらも、どんどん気温の上がる広島の街を、今日も黙々と走りました。
広島電鉄 652号
 これは652号の車内です。この黄色い中吊りが広電が募集したメッセージで、651号のも同じように掲示されていました。乗車している間に全部読ませていただきましたが、実際に電車内での被爆体験を語るもの、肉親を通じて広電への思いを語るもの、小さい子供さんの書いたものなど、オンリーワンのメッセージはそれぞれ貴重であるとともに、このようなメッセージを寄せてもらえる電車が、いかに人々に愛されているかということを実感しました。「英文の路面電車の本の著者」からの、英語のメッセージも掲示されていました。
広島電鉄 653号
 昨日江波車庫に戻らなかった653号は、千田車庫で行われた広電関係者の慰霊祭に出席していたようでした。この画像は、千田車庫の門の外から撮影したものですが、653号の車内には、OBの方と思われる皆さんが乗っておられました。私の見ていた限り、今日は被爆電車の貸切はなかったようです。午前中は被爆電車に乗ったり、写真を撮ったりし、午後からは、例によってモノクロフィルムを詰めたカメラを首からぶら下げて、街をぶらぶらしました。
 気温もピークに達する時間帯、紙屋町の製薬会社の広告看板に付いている電光表示は34度を示していました。去年、今年と8月6日が土日だったため、8月6日を広島で過ごしましたが、それは被爆電車が大きな転機を迎えた1年間でした。来年は暦の関係もあるし、8月6日に来られるかどうか分かりませんが、夏の広島へはまた来ることにしたいと思います。今日のことは、忘れないうちに、モノクロフィルムの現像ができたら、すこしづつ改めて書き留めておくことにします。
 あの夏の日を想い、亡くなられた多くの方々の御霊の安らかならんことを、お祈り申し上げます。