被爆電車 2006年夏

広島電鉄 651号
 今日は約1か月ぶりに広島です。ジリジリ照りつけるとまではいかないですが、気温も高く、間違いなく暑いです。この時期、原爆の日を控えて、関係団体等が貸切で被爆電車を運行する行事が恒例となっています。私は関係者ではないので、乗車することはできませんが、普段出番の少ない被爆電車が活躍する機会でもあるので、やって来ました。朝、岡山で乗り換えたのぞみの自由席に座れたので、うっかり爆睡してしまい、あやうく九州まで乗り越してしまうところでした。1枚目は651号、原爆ドーム前です。今年の原水禁の貸切は原爆ドーム前からスタートしていました。原爆ドーム前の電停はすっきり改築され、側面は全面透明アクリル板になっていて、明るくなっています。
広島電鉄 652号
 貸切運行は、原爆ドーム前から紙屋町を南へ折れ、皆実町で比治山線に入って北上し、広島駅で折り返して、八丁堀経由で原爆ドーム前に戻るという経路でした。651号と652号がほぼ続行で、10分ほど開いて653号が運行されていました。「引退」して江波に保管されていた653号は、あらかじめ千田車庫へ回送されていたようで、原爆ドーム前で見ていると、他の2両と同じように東から回送できて、おそらく十日市町の渡りで折り返し、原爆ドーム前からお客さんを乗せていました。2枚目の画像は、先回りして荒神橋で撮った652号です。
広島電鉄 653号
 夕方も宇品方面から原爆ドーム前までの貸切がありました。3枚目の画像は御幸橋東詰の653号です。久しぶりにお客さんを乗せて、通いなれた道を走る653号は、きっとうれしかっただろうと思います。画像をみていただければ分かるように、広告枠は撤去され、すっきりとした側面になっていました。この夕方の貸切は被爆電車650形3両と、703号の合計4両で行われていて、もしかしたら、被爆電車が4両いる前提での企画だったのかもしれないなと思ったりしました。653号は今日は江波には戻らす、千田へ回送されて行きました。
広島電鉄 654号
 午前の貸切が終わったあと、広島市立交通科学館で展示されている654号に会ってきました。本通からアストラムラインで25分、どっちの方向を向いて進んでいくのか良くわからないのですが、車窓にはだんだん山が近づいてきたなと思っていると、長楽寺に着きました。交通科学館へのアプローチは徒歩でも自動車でも、建物の北側からになるのですが、654号の置いてある広場は交通科学館の建物の南側で、つまり、建物の中なり横なりを抜けて行くようになっています。それがどうしたと言われそうですが、実は私は、交通科学館へ行く人が必ず通るルートのそばに置いてあると勝手に思い込んでいたのです。今日は車内公開が行われる日で、着いたのはちょうど午後の部の公開の始まる時間でした。最初は職員さんが2人いるだけで、見学者は誰もいなくてちょっとがっかりしましたが、しばらくすると三々五々家族連れが集まってきました。暑いので、車内には大きな赤い羽根の扇風機が持ち込まれていました。交通科学館の1階ホールでは、「ヒロシマに一番電車が走った」という、戦争中に路面電車の運転士や車掌をしていた女学生をテーマにしたアニメが上映されていたので、見せていただきました。
 今日の日記は、被爆電車2両が引退して迎えるはじめての夏の記録です。