LRTについて考える(メモ)

富山ライトレール TLR0606号

 毎月20日になると、鉄道雑誌が発売されます。だいたい立ち読みで済ませるのですが、今月は富山ライトレール開業の記事を載せているところもあり、小川さんが富山ライトレールの記事を書かれている『財界展望』も併せて、何冊か買ってきました。いろいろ読んでみて、「富山ライトレールLRTである」ということについて、もちろん異論はないのですが、ではLRTとは何か、今までよく分からないというようなことしか書いてこなかったので、今日は休日でちょっと余裕があることもあり、少しだけ考えてみたいと思います。私は交通政策の専門家でもなんでもない、ただの鉄道マニアですから、きっちりした結論はありませんので、今日思ったことをただのメモとして書いておくだけです。
 【解説】全国初の次世代型路面電車 読売新聞
ここで参照できるものとして、さしあたり、この記事を手がかりにしてみると、LRTとは「次世代型路面電車システム」で、特徴として「床の低い車両」、「騒音や振動が少ない軌道」、「ICカードなどを使った料金システム」が挙げられています。「最新の車両を活用して路面電車を公共交通システムとして復権させ」、「都市の再生につなげる」ということで注目されているとも書かれてあります。
 ここで特徴として挙げられている3点は、とりあえず、LRTの本質的な要素ではないように思います。例えばICカードを使わないと、LRTじゃないということはない。そもそもLRTという言葉じたい、相対的に定義されて使われているようです。国土交通省が定義するときは、政策として取り組む対象を明確にすればよいのだから、そういう目的に合った定義がされるということです。
 それで、とりあえず仮の定義を考えてみます。
LRTとは、都市の基幹的な公共交通機関として位置づけられた路面電車である。」
 いきなりひっくり返すのですが、「路面電車」じゃなくてもいいかもしれない。富山ライトレールだって7.6kmのうち、併用軌道は1.1kmだけですから。海外だと郊外は鉄道線、市街地は併用軌道又は地下鉄というスタイルが一つの典型になっています。バリアフリーや市街地の賑わいという意味で、地下鉄なり通常の鉄道ではなく「路面電車」という点がクローズアップされるということでしょう。「位置づけられた」というのも曲者です。都市政策や都市計画で「位置づけられた」くらいの意味で書いてみました。しかし特別な手続きで「位置づけられ」なくても、広島や長崎のように、基幹的な公共交通機関として「自明」であって、有効に機能していれば、いいんじゃないかとも思うのです。と考えてみると、「路面電車」と「LRT」の区別がなくなって、イメージとしての話に過ぎないと思いつつも、先ほどの記事が特徴として挙げているようなことを、「次世代型」とか「新しい」という要素として盛り込みたくなります。
 ということで、仮の定義を修正してみます。修正しても依然として仮でありますが。
LRTとは、都市政策等で都市の基幹的な施設として位置づけられ、人の円滑な移動に配慮した路面電車等を使った公共交通システムである。」
 定義を考えるといいながら、「等」をつけていろいろ読み込ませようとするのはよくないけど、あくまで、仮の定義とたんなるメモなので、今日のところはこういうことで。また、いつか考え直してみたいとは思います。