モノクロームの広島 2005 8.6(2)

広島電鉄 584号

 原爆ドーム前を出て、紙屋町を曲がって本通を過ぎ、袋町の歩道橋に上がってみます。ここでやってきたのが7号線横川駅行きの584号、朝、久しぶりに6号線で走っているのを見た神戸市電です。この電車は、広電の車籍上、車体更新した1960(昭和35)年製造になっていますが、もとをたどると1931(昭和6)年製の神戸市電L車にまでさかのぼることができます。神戸市電500形は大正末期から昭和初期に製造された大型車のグループで、戦災で残った電車を整理改番し、昭和30年代中ごろに車体更新、ワンマン化された車両のうち、17両が広島電鉄へ移って来ました。今はこの584号と千田車庫所属の582号の2両だけが現役で走っています。

 昭和20年は日本人にとって永遠に忘れることのできない年だろう。4月を除いて終戦までの毎月、必ず大きな空襲があった。
 制空権の無くなった日本の空は、真っ昼間からB29の飛行機雲が幾何学模様を描く絶好のキャンバスとなり、そしてグラマンやシコルスキーなどの艦載機が逃げまどう市民をあざ笑いながら飛び回った。
 6月5日、350機の猛爆を受けて神戸の街は残る東半分も焦土と化した。全住宅の6割以上、12万余戸を焼失市電の施設もほとんどが灰となり、市電車両の全焼121両、国鉄阪神・阪急も。そして山陽電鉄も焼け、〝足〟は完全にストップした。


神戸市交通局編 『さよなら神戸市電』 67頁

 『さよなら神戸市電』が出版されたのが戦後26年目、そして今年は60年目、今、この引用部分の一文を読むだけで、「日本人にとって」空襲体験が風化しつつあることを痛切に感じざるを得ません。ちょうど、今日昼休みに会社で新聞を読んでいたら、神戸大空襲を伝えようとする人たちの記事が出ていました。同僚の半分を戦災で失った584号や582号は、空襲や焼け野原となった神戸の街を覚えているんでしょうか。そんなこと覚えちゃいないんでしょう。電車だから。でも、彼らはそうやって歩んできて、21世紀の広島を走っているんです。
 広島電鉄家政女学校の生徒さんたちの記録を広電でまとめた本が出来上がったという記事がありました。
 路面電車支えた女学生の記録 中国新聞
タイトルは『電車を走らせた女学生たち』、一般頒布はありませんが、図書館で読めるようです。