広島電鉄家政女学校

広島電鉄 653号

 被爆直後の広電乗務を回顧 中国新聞
 太平洋戦争が激しくなり、男性がどんどん徴兵されていくと、電車の乗務員も不足するようになりました。それを補うため、広島電鉄では働きながら勉強できるという「家政女学校」を開設し、今で言えば高校生くらいの年齢の女性が運転士や車掌として電車に乗務するようになります。そして、彼女たちのうち何人かは電車に乗務していて「あの瞬間」を迎えます。原爆によって、300名余りいた生徒のうち、30名が命を落としたと言われています。
 この話は何度かテレビで取り上げられ、最近では一昨年の夏に吉永小百合さんの語りで広島テレビが製作した番組が全国ネットで放送されました。今日の中国新聞の記事は、広島電鉄が彼女たちの手記をまとめるという内容です。
 広島電鉄では、過去に「電車内被爆者の証言」という冊子を発行しています。一般に頒布されたものではないようですが、私は数年前の路面電車まつりのときに販売されていたのを入手しました。広電電車に乗っていて、「あの瞬間」を経験した人たちの手記をまとめたもので、その中にも家政女学校の生徒さんだった方の手記が掲載されていました。
 テレビのドキュメンタリーでは、当時の名簿を元に連絡をとったところ、「思い出したくないから連絡しないでほしい」という返事があったことも紹介されていました。実際、家政女学校のことは広く知られていたわけではなく、こうして自らの体験を語る方々にとっても、決してよい思い出ではないはずです。しかし、後世に伝えなければいけないというある種の使命感にも似た「気持ち」が、彼女たちに語らせる気にさせるのでしょう。そして、その「気持ち」を受け止め、また次の世代へ伝えるのが私たちの役目なんだと思います。
 広電の手記集との関係は分かりませんが、まもなく同じテーマを扱った本も出版されるようです。
 http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=R0136466
 もうすぐ夏がやってきます。今日の画像は御幸橋の653号、「あの夏」も、そして今年の夏も走り続ける4両のうちの1両です。