阪堺電車のお正月 2010(その2)

阪堺電気軌道 モ605号
 今日は朝から午前中だけということで、堺へ行ってきました。御陵前から綾ノ町まで併用軌道の沿線をぶらぶら歩いてきました。正月2日の大道筋は、人も車も少なくて、いつもよりはやや頻繁に行き交うチン電だけが、正月の賑わいを伝えています。車体にamazonと書いたバスが走っています。従業員輸送用でしょうか。
 ここは大小路の交差点です。画面の左手前から右奥へLRTの軌道が交差する計画がありました。LRTは中止になったけれども、阪堺線は残す前提で検討されているそうですが、阪堺線が堺東に直結するのとそうでないのと、残す意義は大きく違うだろうと思います。LRTの夢の跡です。
阪堺電気軌道 モ161号
 これは与謝野晶子の生家の跡の歌碑と案内板です。図面を見ると、生家の跡はこの前の道路上で、往時を偲ぶものは何もありません。
 「海こひし潮の遠鳴りかぞへつつ 少女となりし 父母の家」
今よりも海岸線が近かったので、ここから「潮の遠鳴り」が聴こえた であろうとされていますが、イマジネーションの世界のことのような気もします。生家の前を阪堺電車が通い始めたのは、与謝野晶子が上京して10年くらい後なので、直接の接点はなかったようです。接点があったら、電車の走る音に故郷を重ね合わせていたかもしれません。このあたりに観光拠点施設を整備しようという計画もあったように記憶していますが、どうなったんでしょう。わざわざ観光客が来るところのようにも思えませんが。
阪堺電気軌道 モ709号
 綾ノ町まで来て11時くらい、この時間帯になると電車はかなり混んでいました。正月ダイヤは9〜13分おきでの運行なので、上町線ほど大増発されているわけではありません。大道筋の軌道施設は、併用軌道としては、他に例をみないほど立派な施設です。改修されていないので、ボロボロですが。大道筋は旧紀州街道で、太平洋戦争後、拡幅され現在の形態になったそうです。そのころ、阪堺電車廃線が現実味を帯びる日が来るとは、想像だにしなかったでしょう。 
阪堺電気軌道 モ505号
 綾ノ町から天王寺駅前行きに乗って、そのまま帰るつもりでしたが、住吉鳥居前でみんな降りるので、半ば押し出されるように、半ば自発的に降りました。やっていると限がないので30分と決めて写真を撮り、住吉公園から天王寺駅前行きに乗って帰りました。