別大電車の基礎知識
3連休ですが、趣味的にはどこも出かける予定がありません。そこで、ちょっとタイムスリップしてみます。大分交通別大線、通称「別大電車」です。もともと別大電車について私が知っていたのは、次のようなことです。ちなみに私は別府へも大分へも行ったことはありません。
- 大分と別府を結ぶ都市間電車で、両端では市内電車の役割を果たしていた。
- 軌道は別大マラソンで有名な別大国道沿いに敷設されていた。
- 豪雨による土砂崩落に電車が巻き込まれ、多数の犠牲者が出たことがある。
- サルで有名な高崎山が沿線にあった。
- 廃止後、岡電に譲渡された電車があった。
本屋で見かけて買ってあったこの本を今日読んでみました。
- 作者: 田尻弘行
- 出版社/メーカー: ネコ・パブリッシング
- 発売日: 2006/08/01
- メディア: 単行本
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ネット上でも、別大電車の写真はいろいろ見ることができます。たとえば、大分河川国道事務所のサイト。仏崎の土砂崩落に巻き込まれた電車の写真もあります。
別大国道今昔写真展 国土交通省九州地方整備局 大分河川国道事務所
もうひとつ、こちらは新聞の連載物で、民俗学者の宮本常一の足跡をたどるシリーズの中の1回、別大電車のOBの方のインタビューも交えて、立体感のあるいい読み物にまとめられています。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/jmemory/0507/jm_507_050723.htm
別大電車は、九州でははじめて、日本でも5番目に開業した歴史ある電車でした。路線の規模も私が勝手に思っていたのよりはずっと大きく、大分と別府間は10分おき、市内区間では折り返し便が間に入って5分おきに電車が走っていたというし、ボギー車を2両つないで走らせたり、昭和30年代後半には、連接車や2両固定連結車も投入されました。
1972年、別大電車は72年の歴史に幕を閉じました。国道の拡幅のために、知事と関係市から廃止の要請がなされたことが直接のきっかけになったようですが、すでに事業としては赤字を計上していて、大分交通が持っていた鉄道線もこのころ相次いで廃止されていることを考えると、事業者としても廃止の意向があったことが推察できます。命運尽きたという感じですが、いろいろ読んでみて、もし残していたらと考えてみると、活用してゆく方法はあったような気もします。
廃止後、保存された車両の一部は現存しています。
大分交通506号 国立科学博物館
そして、今日の画像の岡山電気軌道7200形は、大分交通別大線500形の台車等を流用して、車体を新しくしたものです。
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ポートラムご乗車100万人達成日予想クイズ 富山ライトレール公式サイト