LRTシンポジウムと阪堺電車

阪堺電気軌道 モ711号

 日が経ってしまいましたが、先日土曜日に堺で行われた「LRTシンポジウムin堺」の感想を書き留めておきます。内容は毎日新聞に載るそうですし、ここでそのまま紹介するわけにもいかないと思うので、感想を述べるのに必要な範囲で言及することにします。
 講演者とパネラーの中で、もっとも印象に残った発言をされたのは、森富山市長兼富山ライトレール社長でした。理想の都市像として、自家用車に特化した低密度な街ではなく、「コンパクトな街づくり」を描き、そのしかけとしての路面電車の活用を、既存の市電網の延伸も視野にいれつつ語る森市長の説明は、非常に説得力がありました。公設民営も公約として市民にも議会にも明確に言っている、それで選挙に通ったんだからどんどんやっていくんだという主張は、強引なようにもとられかねませんが、政治家としては王道なのでしょう。そして、基金も2億5千万円集まっている、電停の命名権やベンチの販売も埋まりそうだという、市民なり地元企業なりの反応が、大きな支持表明になっているだろうことも見逃せません。もともと、富山駅の高架化が発端になっているわけで、理念のような部分は後から付いてきたのが事実なのかもしれないし、恵まれている要素もいろいろあるけれど、「20年先、30年先を見据えて事業をやってるんだ。交通弱者が増えてから考えるのでは遅い。」と自信に満ちて語る森市長の頭の中には、あるべき都市の理想形と公共交通の役割が明確になっているに違いないと確信させられました。
 もうひとつ思ったのは、LRTの有用性の理論という言い方が正確かどうか心もとないのですが、何かそういう理論について、一般論を超えて、具体的な場所についての裏づけとなるような展開というのはできないのだろうかということです。例えば、ある場所にLRTの計画がある。そこには民間のバス路線があって、十分採算がとれて収益が上がっている。そのバスにザビエルの絵が描いてあってもなくてもいいんですが、そんなところに役所が金を出してLRTを敷かなければいけないのかという問いに対して、どういう答えがあり得るのでしょうか。都市交通を学問的に研究されている学者のみなさんや、勉強されている行政の関係者のみなさんはたくさんおられると思います。抽象的に街が賑わうとか、一般的に環境によいという話ではなく、具体的な計画を前進させるバックボーンになるような理論がほしい、もうそういう理論が必要な段階に到達しつつあるんじゃないかと思いました。
 そんなこととか、あと細々としたことを思いながら、阪堺電車に乗って帰りました。あびこ道でモ161形が来ないかと30分ぐらい待っていましたが、来なかったのであきらめて電車に乗ったら、すぐにあびこ道行きのモ161形の電車とすれちがいました。