阪堺電車 大和川橋梁

阪堺電車 大和川橋梁

 せっかくの三連休でしたが、遠くへ行くこともなく、このままでは趣味的には寂しいので、今日所要で大阪へ行ったついでに、用はないけど阪堺電車に乗ってきました。ことさら「用はないけど」ということもないですね。用もないのに電車に乗っているのはいつものことですから。ルートは南霞町からあびこ道往復で、あびこ道から徒歩で大和川まで往復しました。そこで、今日は大和川橋梁について書いてみます。
 この橋梁はなかなかの骨董品です。「明治四十四年 横河橋梁製作所製作 大阪」と右から左へ横書きに書いてあるプレートが付いていて、堤防のところで橋を支えているレンガ造りの橋台ともども、明治44(1911)年に阪堺線がえびす町から堺の大小路まで開通したころからの構造物が残っています。こういう構造物の寿命はどれくらいなんでしょうか。適切にメンテナンスをしていれば、半永久的に使えるようにも思いますが、現実に100年近く現役というものも少ないと思います。ちなみに同じ阪堺電車でも堺の石津川橋梁は、昭和46(1971)年に架け替えられたという記録があります。阪堺電気軌道では、乗客の減少を理由に堺市内の路線の廃止の意向を示していて、とりあげず今は猶予期間のような形になっていますが、背景には施設の老朽化とその更新に要する費用の問題もあるはずです。
 大和川電停の周辺は、高速道路建設スーパー堤防事業のための立退きが進んでいて、大和川電停前にあった高層マンションもきれいさっぱりなくなっていました。大和川橋梁を渡る電車を上下2本つづ見送って、あまりに暑いのであびこ道まで戻ることにしました。