阪堺電車 宿院あたり

阪堺電気軌道 宿院

 阪堺電車の料金均一化社会実験協賛ということで、ちょっと沿線のことを書いてみたいと思います。堺市役所のサイトによると、宿院という地名の由来は、この場所にある住吉大社の頓宮を宿院といったことに由来するそうですが、このあたりは寺社が多く、宿坊(宿院)がたくさんあったことに由来するという説もあるそうです。室町時代からある古い地名で、堺が「東洋のベニス」といわれた自由都市であったころには、繁華街であったといいます。そんな昔のことでなくても、明治時代は劇場や映画館の立ち並ぶ歓楽街であったとか。でも、今は繁華街の面影もなく、往時を偲ぶものもあまりありません。目立つものは、阪堺電車の走る大道筋(だいどうすじ)とフェニックス通が交差する宿院の交差点に大きな石灯籠があって、目の前を走る電車、自動車を見つめているくらいです。
 画像は先週撮影したもので、宿院電停の西側にあるレリーフです。画像が小さいので見にくいのですが、おそらく太平洋戦争以前の宿院の様子で、路面電車とここから西側へ分岐して大浜海岸まで伸びていた大浜支線の軌道が描かれています。電停の近所の観光スポットとしては、宿院頓宮、開口神社千利休邸跡、与謝野晶子生家跡などがあって、歴史の重みはあるものの、観光客が訪ねる場所としては、ちょっと地味な感じがします。このレリーフの北側20mくらいのところが、与謝野晶子生家跡で、碑文などが立っていますが、建物は跡形もありません。君もコクリコ、われもコクリコ。阪堺電車が存続するとすれば、沿線の活性化も意識的に図っていく必要があるでしょう。
 その他のニュースは、前にも書きましたが、豊橋鉄道の新型低床車の導入の募金として、レジャーシートを販売しているという記事を紹介しておきます。
 低床市電導入に市民が協力 東日新聞
この間行ったときに、これを買うのを忘れたなと思いつつ読んでいると、「車両は3両編成で、導入には2億5000万円の資金が必要」という箇所で目が止まりました。3連接車ということなんでしょうか。募金は来年夏を目途に500万円を目標にしているとのことで、電車の愛称やデザインの公募も予定しているそうです。