被爆電車 2011年夏(その2)

広島電鉄 652号
 5時半に起きて、6時2分の広島駅始発の1号線の電車に乗りました。今日は土曜日なので、朝の出庫両数は少ないです。でも被爆電車は出るだろうと、しかも3号線だろうと、まったく根拠がないわけでもない確信を持って、紙屋町で降りました。
 みずほ銀行の前で、半ば寝ぼけて、缶コーヒーを飲みながら明け行く8月6日の広島の街、広島港行きの651号が目の前を通り過ぎたのは6時50分ごろでした。そうすると彼が戻ってくるのは8時くらいになりますが、652号も通るかもしれないので、もう少し待ってみるかということで待っていると、7時18分、紙屋町西電停に西広島行きの652号が滑り込んできました。スジとしては、去年乗った被爆電車とほぼ同じでしょう。今年も乗りました。 
広島電鉄 651号
 西広島での折り返しに再び乗って、戻ります。西広島からは中国放送のカメラマンが乗ってきて、熱心に車内をあちこち撮影されていました。
 紙屋町西まで来たところで、8時6分、先ほどの651号も戻ってきていて、被爆電車どうしが出会いました。無理やり1枚の画面に入れて、651号に乗り換えました。と書くとそれだけですが、紙屋町西では乗り換えが間に合わなくて、原爆ドーム前まで走って、そこで乗り換えました。こちらにはNHKのクルーが乗っていました。
 8時15分過ぎ、十日市町に停車、黙祷。今日の7時の全国ニュースで、被爆電車車内での黙祷シーンが流れていたらしいのですが、幸い私は映っていなかったようです。別に映っちゃいけないということはないのですが。
広島電鉄 651号
 また同じように西広島で折り返して、651号に乗せてもらって広島港まで行きました。宇品五丁目でおじさんが降りると、乗客は私だけで、貸切状態になりました。せっかく走っているのだから、式典に来た人なんかに、帰りにちょっと乗ってもらえたらいいのになと思うのですが、そういう人はほとんどいないですね。事前にダイヤもはっきりしないし、あまりたくさんの人が来ても乗れないので、難しいのかもしれませんけど。 
広島電鉄 652号
 651号は昼前に入庫し、652号は朝いったん入庫して、昼過ぎに再度出庫しました。今日は、広島電鉄として、8月6日には被爆電車を走らせるという、明確な意志を感じました。
 66回目の8月6日を迎えた被爆電車、それはあの日との連続性を持っているという意味で、そして後世に伝えなければならないことを伝えられる存在として、黙々と走り続ける彼らは、かけがえのないものであろうと思います。毎年思っているようなことですが、今年も改めて思いました。